イン・ハー・シューズ/カーティス・ハンソン


おそらくこの映画が一体どういう映画なのか、世間一般にイマイチ浸透していないと思う。
何故なら私が予告編を見る限り、キャメロン・ディアスが出るという情報しか認識できなかったからだが。
決してキャメロン・ディアスのアイドル映画というだけではない本作、まあまあ程度の興行成績だが、観客の内訳の多くは20代以上の女性と思われる。
実は今年のアメリカ映画で女性の友達同士で見に行けるような、女性ドラマが足りなかった。その事実をこの映画で思い出した。


まあ、姉妹物としてよくあるパターン、というか想定出来る範疇の筋ではある。
生真面目で暗い姉と、奔放な妹の葛藤、喧嘩、仲直りでホロリ、といった按配。
そんなこんなでも全く飽きることはなかった。


製作総指揮トニー・スコット、製作にリドリー・スコット参加のこの映画で引っかかるのは描写がやけにさらりとしていること。
かなりギトギトに描けるキツいエピソードも多々あるが、それぞれ表面をなぞったような印象をあたえる。
特にキャメロン、姉のトニー・コレット、祖母のシャーリー・マクレーン、それぞれの生活や思いを切り取って数分ずつのシーンで繋げていく語り口は、そんな印象を強める。
なので、人間ドラマ・感動作の内容にも関わらず、感情移入がしにくい。
ベタッとした気持ちで、物語に身を寄せることが出来ない。
登場人物と観客の親密さを求めるより、登場人物間の関係を描くことに苦心している、と解釈出来るのでは?
それが意図されたものか違うかは別として、私にはなかなか興味深かった。
腐れ“自分探し”映画に陥ってないのも、例えば、学習障害のキャメロンが如何に自分の適職を見つけ出すか、より、彼女が如何に他者との関係を築いてゆくか、をきちんと描こうとしているからであろう。
製作者達は「他者との関係で自分が成り立っている」ことに自覚的だ。


詩の引用は非英語圏な私にはやややりすぎに聞こえたが、おそらく字幕をさして読みたくない気分になるような視覚的魅力が多々あったこともそう思った要因であろう。
キャメロン・ディアスの洋服がいちいち可愛い。しかし、この人、遠目や着衣だと凄く痩せている印象だが、意外に肉付きがよい。
この体の感じは東洋人としてはかなり憧れるところ。
トニー・コレットの駄目女変身振りも凄まじい。
彼女を失意から救い出す眼鏡男の行きつけの店がジャマイカ料理店で、その都合上レゲエの名曲が幾つか流れる。