10.MOTHER

この曲もライブ映えする曲。
このアルバム内では唯一具体性を持った、自身の経験を越えた歌詞を持つシリアス極まりない曲。
主題は反戦であり、ラストに具体的に「I HATE VIETNAM WAR」と言ってのける。
しかし、今聴くと少し背伸び感は否めない。
後のベンジーの作風にも根強い、社会問題、世界情勢へのコメントではあるが、シャーベッツの「VIETNAM 1964」とはそもそも全く違ったアプローチだし、具体性をもってしても、「38Special」の衝撃には及ばない。
また、後に「悪い人たち」を発表するにあたり、やはり、この曲の試作品感は否めない。


しかし、演奏の緊張感やスリルは全く別で、格別である。
ミドルテンポのこの曲のような作風というのは型とならず、類似した作品はない。
だからこそ貴重でもある。
全体の演出力はBauhausやSiouxsie & the Bansheesに近いものが感じられる。
このあたりのゴス系バンドはベンジー、照井ともにフェイバリットにあげている。
基本的には2つのリズムパターンの繰り返しではあるが、そこに不穏極まりないベースソロがフューチャーされ、「MOTHER」と叫びだす辺りからは、アルバム最終曲の貫禄があり、デビュー作とは到底思えないスケール感で幕を降ろす。
それは上記のゴス系バンドが多大な影響を受けたTHE DOORSの「THE END」のようでもある。


ちなみに、私がこの曲で一番好きなのは突然放り込まれる「冬の朝に」のフレーズ。
BJCには何故か冬のイメージがあり、実際冬の歌も多いが、おそらくは彼らの、特に初期の曲における緊迫感が、凍えるような冬の景色に似つかわしいからであろう。

9.狂った朝日

上記の如く、BJCのニヒリズム的な面を象徴する曲。
しかし「笑い顔の昔の家族の写真」という一行を盛り込むことで、ただの厭世的な世界観以上のものが広がる。
BJC時代のベンジーは本当にこういう世界観を広げる一言が上手い。
アルバムタイトルは照井の腕の刺青のフレーズであるが、この曲にはベンジー愛用のグレッチ・テネシアンを彷彿とさせる「赤いギター」というフレーズが出てくる。
このギターは現在に至るまでベンジーと一心同体といえる存在となるが、デビュー契約時に渡された金で買ったという。


曲自体はがなる唄い方のベンジーが生える曲調であるが、ヴァース部分は当時のポジパン連中からヴィジュアル系につながるサウンドにも似ている。
ベース単音リズムから始まるのは「ガードレールに座りながら」の別発想。
所々に入るグリッサンドするスライドギターは解散後にヴァイオリン奏者をバンドに加える3人を考えると興味深い。
途中、一瞬、「ディズニーランドへ」のサビのオブリガードフレーズが聞こえる。
しかし何より聴き物は達也の、スティックの折れた破片が飛び散る様が浮かぶようなドラム。ぽっと出の新人には不可能な、場数を踏んだ達也ならではの完成度。

8.あてのない世界

後のベンジーの作風からは窺いにくくなってしまった、少し演歌チックな曲である。
純粋な不良性と、独特のニヒリズムの印象がある初期BJCの後者のイメージ部分を拡張させたような曲であり、その主題は次の「狂った朝日」とも共通しており、この2曲は兄弟のような印象がある(1stの中でも目立たない兄弟…)。


この曲でよく取り上げられる部分は「Five Years」という具体的な曲名を歌詞に盛り込んでいるところだが、ベンジーにはDavid Bowieの影響が幾分見受けられる。
「Rebel Rebel」をカヴァーという例を出すまでも無く、特にBJC解散後の曲にグラムロック臭がするものがあったり、そもそも歌声がBowieを意識している部分があるだろう(昔何かの雑誌で、「姉に声がボウイに似ているって言われた」って言っていたような…)。
少年性と残酷な歪み、そして色気を兼ね備えている点で似ていると思うのだが…
まあ、それは戯言としても、ここで「Five Years」を引用するのも、BJCのニヒルなイメージに一役買っているだろう。
その「Five Years」をアップデートしたような傑作「悪い人たち」を生むのはもう少し先の話。

7.ガードレールに座りながら

本アルバム屈指の名曲。
言葉にしたくないが、夢を語ることのロマンチックさと、確信の無い断定の気分をこの曲ほど的確に描いた歌も無いのではないだろうか?
「君」に語る日常の会話は会話であって、その発言内容になんら責任は生じない。
その日常の延長で歌詞を生み出すベンジーにとってはその後幾多の難が待ってはいるが、この曲はそうやっていくと、既に宣言しているようなものだ。


イントロ、ギターでの単音でのリズムは「ディズニーランドへ」に繋がり、その後バンドが入った後の抑え目のリフはBJCとしては珍しいくらいに少々泥臭いリズムのリフである。
そこでバンドのボルテージを高め、メインリフへ。
歌が始まるまでに3種類のリフを駆使しており、それを複雑と思わせずに一気にサビのブレイクになだれ込んでいく緊張感。
ベンジーもこの曲では力が入ったか、他の曲以上にがなって歌っている。
間奏のキメブレイクも格好良く、後のライブでも映える瞬間となった。
ラストにはうっすらとベンジーがローDのコードでLED ZEPPELINの「Stairway To Heaven」のブライク部分のフレーズを弾いているが、ライブではこのパートがイントロにも大々的にフューチャーされる。

6.公園

名曲・代表曲揃いのこのアルバムの中でも幾分地味な存在感の曲。
そのイメージは果たして、ヘビーさとはかけ離れた軽快なリズムからか?(ここでもベンジーの素晴らしいアコギのリズムが聞ける)
そう考えると曲想としては後の「ライラック」やシャーベットの跳ね回る子供のような軽快さの前触れのようにも思える。
さらにイントロのダメ押しのようなブレイクは「脱落」の原型とも言えなくはないか?


いずれにせよ、さして歌うことがない、というかのようなベンジーの歌詞の主題が実はLOU REEDの名曲「Perfect Day」と同じであることは特筆しておきたい。
特別な日、幸せな日にふと表れる日常の闇や虚無感。

5.TEXAS

照井作曲ナンバー2曲目。セカンドシングルでもある。
Am→Fを基調とした曲進行は緊張感のあるBJC定番の進行となる。
演奏はまるで銭湯の中でやっているような録音だが、非常に練られた演奏であり、本アルバムでも屈指だと思う。
その分、キーボードやワウギターが余計な気もするが、そういった向きには『LIVE!!!』収録の剥き出しの演奏を。
このスタジオヴァージョンはよりスケール感があり、後半を盛り上げる人声のようなシンセサイザーヴォイシングLED ZEPPELINの「Babe,I'm Gonna Leave You」を彷彿とさせる。
また、後に優れたアコースティックギタープレイを聴かせるベンジーのアコギサウンドが初めて聞ける曲でもある。
この人のこういったテンポの曲でのアコギのセンスは素晴らしいと思う。


何より「ハニー2人で廃墟を/駆け登り/夜のショーウィンドウで/盗みをしたね」のフレーズがかきたてる、懐かしさと切なさが混じった感情はなんなのだろうか。
BJCを愛する者というのはこういった感情から離れられない者達のことだと思う。
決してそんな過去を持ってはいないし、共有もしていないのだが、何かが切なく、懐かしくなるのだ。
ベンジーの描く歌詞の中で切なさをかきたてるのは主に、共有していない思い出だ。
おばあちゃんが編んでくれたセーターを持っていなくとも、アイスキャンディーをくわえながら自転車を走らせたことが無くとも、問題ない。
ベンジーに限らず、優れたソングライターにはそういった聴く者の、存在しない思い出を想起させる才能がある。


それと後のベンジーの曲に少なくなってしまったが、この曲にあるのがタイトルの妙。
「胸がこわれそう」もそうだが、この曲にはさらに歌われる内容とタイトル自体に距離がある。
しかし、しかし、このタイトル以外ありえない、という妙。
ちなみに、後に達也とも交流のある安藤裕子が同タイトルの曲をリリースしているが、こちらも歌詞とタイトルに関連性がなく、しかし、このタイトル以外ない、といった作品である。

4.不良少年のうた

記念すべきデビュー曲。
しかし、デビュー曲・シングルが5拍子の曲、というのも相当な幕開けだ。
後に土屋昌巳とのリズムの実験的なコラボを経て、5拍子というお題目としては「Hell Inn」や「Violet Fizz」に結実するが、その2曲ほど5拍子を使いこなせてはいない。
しかし、おそらくはベンジーが歌メロを考えた時点でこのリズムだったはずで、サビのメロディーの自然さは彼の天然のリズム感の柔軟さを思い知らされる。


今この曲を聴くと、正直もどかしさがある。(後年の3人ならばもっと生きたアレンジ、演奏を出来たのでは?)
それを解消させてくれた『The Six』収録ヴァージョンであったが、そちらから失われていたのはこの不穏さと緊張感であった。
80年代のノワール映画に出てくるような夜の裏道のようなムードがこの録音にはある。
そういった意味で、BJCとしては珍しく未熟さが楽曲の価値を高めている一曲である。


この曲でデビューしてしまったから、という訳ではないだろうが、不良、というキーワードはBJCにつきものになる。
それは本人達より、スタッフの打ち出し方であったり、ファンの幻想であったりに根ざしていると思う。
しかし、9年後、彼ら自身がラスト・アルバムに「不良の森」という曲を収録することで、その付加されたキーワードに落とし前をつけたといえる。