ランド・オブ・プレンティ/ヴィム・ヴェンダース


悪かったのは私です。。。
なんつーか、いい映画ですね、コレ。
前回は何を見ていたんだろう?
頭がおかしかったんですね。多分。


天使はiPodを持っている、とでもいいましょうか。
iPodを所有するライフスタイルを提示したほとんど初めての映画じゃないでしょうか。
最近のアメリカ映画、特に青春映画やラヴコメは既存の名曲を多々散りばめることで映画に思い入れというか、感情を付け足していることが多い。
というより、その名曲が製作者達のセンスを誇示しているというか。
でも、この映画はiPodが幾度も映し出されることで、映画としての歪さ、映画と音楽の乖離を避けているように思える。
荒いドキュメンタリー・タッチ(陳腐な言い回し!!)の映像に、唐突に音楽が流れてもさほど不自然に感じない(iPod所有者であれば)。


様々な思想の共存を許しあうこと、それが「豊かな国」の証である、と。
深刻な顔で調査しまわるジョン・ディール演じるポールと、何故彼を手伝っているのかよく判らない彼の子分のユニークな身振りを共に受け入れる、真面目に書けば、ベトナム戦の後遺症に悩みながら徹底した愛国心を貫くポールと、よりリベラルな思想を持って共産国に旅立った彼の妹を、ともに受け入れるのがランド・オブ・プレンティなのだ、と。
これでも判る通り、この映画は全編肯定の意思に貫かれている。
自分に何かを課し、それを宿命と考え突っ走る人は、時に盲目になる。
失われた視線は、はっきりと9.11に言及した本作の中で、ロスにおける貧困の問題へと向けられている。
ここに現れるのが天使たるミシェル・ウィリアムス演じるラナで、彼女は思想・民族の違いを超越し、全てに微笑を送る。
何故か印象に残ったエピソードが、ラナと気のよさげな食堂のおじさんとの対話で、このおじさんがラナの以前の居住国に対していちいち偏見めいた発言をするのだが、このシーンは笑いの中で終わる。これなんだ。偏見で物事を判断してしまうような人(このおじさんについては深く語られないのでどういう人か判らないが)も笑顔で受け入れる寛容さ。
これが映画を支えている。


なんだか、妙に笑えるところが多いのも再発見であった。
階段落ち!緑のジャージ!
ボウイの曲がかかる中、ポールが突入して肩透かしなくだりは「ライフ・アクアティック」すら思い出してしまった。意識してたらすごい。


おそらく先日見て腑に落ちなかったのは、普通にいい話が美的感覚を重視せず語られていたからであろう。
私は表面上のことに惑わされ、本質を見失っていたわけだ。
それってこの映画が発している警告に合致する。
美しすぎたのはハチドリがラナの周りを数分間飛び続けるショット。
やっぱり、天使だったのね。。。