小島の春/豊田四郎


16歳当時の高峰秀子が本作の杉村春子の演技を見て「雷に打たれたようなショック」を受け、「演技を売るならこれほどの演技を売らなければ俳優ではない」と思わせ演技開眼させたエピソードで有名な作品。わたしの渡世日記 上 (文春文庫)
このことは高峰本人が自伝的随筆「わたしの渡世日記」に記している。

映画はハンセン氏病療養所の医者である夏川静江と、療養所に入りたがらない患者や家族たちとの交流を描く作品で、1940年という製作年から予想するほど差別的な色合いはない。
豊田の演出は戦後の作品のように人物達の感情の高ぶりを生々しく切り取るでも、「鶯」のような演劇的なものでもなく、引きのショットを多用して、傍観者的な立場で決して熱くならない夏川静江を見守る。
泣かせに走るような演出ではない。
ただ、療養所に入るには家族と離れ離れにならざるおえず、その別れをじっくりと描く。
父の病気によって(当時は伝染性・遺伝性があると言われていたため)子供が学校でいじめられるシーンもあるが、基本的には発病してしまった者やその家族の悲しみを切り取っている。
だから「エレファント・マン」的な見世物要素は一切ない。
患者が閉じ込められる部屋は、春の陽気をさらに光を飛ばして撮った屋外と対比されるように暗い。
杉村春子は発病した菅井一郎の妻と、患者役の二役を演じており(当時患者役をやる役者が少なかったそうだ*1)、高峰がショックを受けたのは患者の方。
顔を一切見せず、暗い部屋で甲高い声と背中、手の仕草だけで芝居をする。
療養所の患者が村に置いてきた娘の役で当時5歳くらいの中村メイコが印象的な件を演じている。
関根勤いうところの「まだ意識がない」子供ながら、泣かせる。

*1:君美わしく―戦後日本映画女優讃 (文春文庫)杉村春子インタビューで言っていた記憶が